「ちむどんどん」第8週「再会のマルゲリータ」のあらすじ(ネタバレ)と感想です。暢子が上京して1年が経ちました。1973年です。
暢子もある程度仕事ができるようになっていましたが、レストランオーナーの房子から突然衝撃の通告を受けるのです。
その通告とは?
房子からの通告は突然のクビ宣告でした。「ある場所で働いて評価を得てくること」と言われます。
一方、沖縄やんばるでは、歌子が歌手のオーディションを受けましたが、体調を崩して落選してしまいます。
そんなときに、良子が産気づき、歌子にあるお願いをするのです。
今週は「マルゲリータ」がキーワードですね。
引用:wik
マルゲリータは、イタリア料理のピザの種類の1つで、ナポリピッツァの代表でもある。トマトソースの上に、具材としてモッツァレラチーズとバジルの葉を載せたもの。イタリア語ではpizza Margheritaといい、そのままピッツァ・マルゲリータと呼ぶことも多い。
「ちむどんどん」第8週(東京編)「再会のマルゲリータ」のあらすじ(ネタバレ)。
暢子の新しい職場とは新聞社のアルバイトでボーヤ(雑用係)の仕事でした。そこで、記者になった和彦と再会します。
その上、和彦は同じ下宿に引っ越してくることになります。智はどう思うのでしょうか。
暢子は和彦の仕事でとあるインタビューを手伝いますが、和彦の書いた記事は大きな問題を起こしてしまうのです。
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「ちむどんどん」第40話:6月3日。和彦の取材で分かったマルゲリータ。
ついに暢子は「思い出のピザ・マルゲリータ」の投書を見つけました。
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東洋新聞が誇る人気企画「我が生涯最後の晩餐」。
取材者であるイタリア人シェフ「タルデッリ」の追加インタビューが可能になりました。
そして、タルデッリシェフ「我が生涯最後の晩餐」の料理も明らかになりました。
それは「ピザ・マルゲリータ」でした。
和彦の取材でわかったことは、昭和18年、イタリアの軍艦が同盟国・日本の神戸港に寄港。
抑留され、そのまま日本に留まった乗組員にタルデッリがいました。
1968年5月14日の投書記事を投稿したのは、タルデッリの恋人「歌川光子」さんでした。
ただ「歌川光子」さんはすでに他界しておりご兄弟にお話を聞くことができたようです。
二人の結婚は叶いませんでした。それでも光子さんはタルデッリと一緒に暮らした思い出をつづり「独身」を貫いたそうです。
タルデッリさんは二人の若い時の白黒写真を見ていましたね。
和彦の話を聞きながらタルデッリさんの涙が紙面に落ちた瞬間、タルデッリさんのアルバムを引き出した新聞の役割を暢子は知ったのだと思います。
⇒宮沢氷魚が朝ドラ「ちむどんどん」で演じるキャストの青柳和彦とは?
企画の最終文にタルデッリさんの感想が載っています。
「私はあの2人で分け合った一片のピザ・マルゲリータの味を超えたくて、今も料理を作っているのかもしれません」でした。
有名シェフの原点を田良島デスクが大幅に修正したとはいえ和彦の取材で分かったことはとても意味深いですね。
「ちむどんどん」第39話:6月2日。良子が元気な女の子を出産。
田良島デスクは「いつ、どこで、誰とそれを食べ、なぜ最後の晩餐にしたいのか」を聞いたよなと和彦に迫ります。
しかし和彦は時間がなかったと言い訳を言うしかありません。田良島デスクは追加取材を申し込めと和彦に伝えます。
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そこで田良島デスクは次の行動に移ります。それは・・・。
歌子のオーディションは?
歌子がオーディションを受けてから1週間が経ちました。
沖縄やんばるの比嘉家では良子が出産の日を迎え「母になれるか」と心配していたとき、郵便配達からの通知を歌子は受け取ります。
熱を出していた歌子でしたが歌手のオーディションを受けた歌子は気になっていたのでしょう。
予選審査の「合格」通知でした。
しかし、予選審査に合格した歌子は熱を押して最終審査に参加し、再び「翼をください」を歌ったのですが、オーディション会場で倒れて失格になってしまいました。
家で目覚め「なんで、うちだけ何にもなれないわけ」と悔し涙を流し母・優子に抱かれているとき、良子の陣痛が始まりました。
このシーンは何度観ても泣けます。
良子の出産。
良子から歌を頼まれた歌子は「椰子の実」で不安な姉・良子を励ますのです。
良子は無事、元気なかわいい、かわいい女の子を出産するのでした。歌子は不安そうでしたがそーと抱きかかえました。
レストランのオーナー大城房子の過去。
一方、東洋新聞社の和彦は相手に再取材を申し込むが代理店は良い返事をくれません。
これを見ていた田良島デスクは、なんとイタリアレストランのオーナー大城房子に助けを求めるのです。
房子は電話で交渉していました。たぶんその相手は「アレッサンドロ・タルデッリ」だと思います。
流暢なイタリア語で交渉していました。
田良島デスクの話では房子は若い時イタリアで料理の修行をしていたようです。その時にタルデッリと知り合ったようです。
ただ、取材許可は60年代の新聞投書欄のピザに関する投書を見つければ応じるという条件を突きつけでした。
房子とアレッサンドロ・タルデッリはどんな関係なんでしょうか?
⇒原田美枝子が朝ドラ「ちむどんどん」で演じるキャスト大城房子とは?
暢子が10年分の投書から見つけたマルゲリータ。
和彦、暢子、愛の3名は60年代10年分の投書を必死に読み込みます。
そのシーンにオーバーラップして、歌子が「椰子の実」を歌い不安な姉を励まし、良子の出産シーンと重なります。
そしてついに暢子は「思い出のピザ・マルゲリータ」の投書を見つけました。
間に合いました。
それにしても週タイトルの「再開のマルゲリータ」と投書の「思い出のピザ・マルゲリータ」はどのようにつながるのでしょうか?
その答えは明日なのかな?
「ちむどんどん」第38話:6月1日。和彦の挑戦。
第38話のイントロは和彦が大野愛を見送る場面から始まります。愛を心配する和彦に「平気、運転手さんが待ってるから」と応えます。
愛の家は運転手がいる裕福な家なのか?それとも運転手とは社タクなのかな?この時代に社タクはあったかな?
~主題歌「燦燦」~ ♪白い花 揺れる波 遠く伸びていく影に♪
和彦の沖縄への想い。
和彦は三郎が帰宅する前に言葉を交わします。三郎は新聞記者の和彦がなぜ鶴見で生活をするかを見抜いていました。
和彦は三郎に、「僕にとって沖縄はライフワークなんです。亡くなった父がやり残した仕事でもあるし」と話していました。
亡くなった和彦の父・史彦の想いは和彦に伝わっていたのです。
父・史彦の沖縄への思いが引き継がれ青柳親子によって沖縄が語り継がれていくのですね。
和彦の挑戦。
和彦は東洋新聞の人気企画を書かせてほしいとデスクの田良島に頼み込んでいます。
その姿を見て暢子は微笑みます。
多分凛々しく熱意を持って頼み込む和彦の姿、成長した和彦を見て何かを感じたのでしょう。
田良島デスクは、和彦の熱意に耳を傾け、「そこまで言うならやってみろ」と挑戦する機会を与えてくれました。
田良島デスクはどんな男。
「新聞を読んで新聞を好きになろう大作戦」と称して暢子に新聞の面白さを教え込んでいます。
しかし新聞より料理が好きだと答える暢子に名言を残します。
田良島デスクは「料理も新聞記事も同じ」と話し、「料理人は食べる人のことを思って料理する」新聞記者は「読む人のことを思って記事を書く」
この言葉はのちのち暢子の名言にもなります。
和彦の取材。
「アレッサンドロ・タルデッリ」の取材は順調に進みました。しかし社に戻って皆でピッザを食していると田良島デスクに呼ばれます。
企画主旨の取材が全くできていなかったようです。
取材で大事なのは「いつ、どこで、誰とそれを食べ、なぜ最後の晩餐にしたいのか」を聞き出すことでした。
しかし、和彦は料理の持論を取材記事としてデスクに渡しそれで満足していました。
和彦は答えてくれなかったのでと田良島デスクに返しますが、
田良島デスクは和彦に「それを聞き出すのが俺たちの仕事だろ」とかなり強い口調で言うのです。
やはりデスクって怖いよね。特に当時の新聞社のデスクは鬼でしたからね。
田良島デスクは和彦に追加取材を命じるのです。和彦の失敗経験が成長のスタートラインだと嬉しいですね。
歌子のオーディションへの挑戦。
歌子は新人歌手の発掘オーディションに挑戦することになりました。
しかしオーディション当日は案の定、緊張し過ぎて歌えません。審査員側が5分の猶予をくれました。
その間、席を外して暢子に電話をかけ相談します。
暢子はここで名言を残すのです。それは田良島デスクから言われた言葉。
暢子:「歌も料理も同じ。料理は一番食べてもらいたい人を思い浮かべて作る」「歌も同じ、一番聴いてもらいたい人を思い浮かべて歌う」
という暢子の言葉に励まされ、歌子は見事「翼をください」を歌いきります。
オーディションで歌っている姿に幼い歌子が三線を持ち家族と一緒に歌っている姿がオーバーラップしています。(( ノД`)シクシク…)
歌子の頭の中には愛する比嘉家の家族の姿があったのでした。
「ちむどんどん」第37話:5月31日。暢子は新聞社でアルバイト。
新しい職場・新聞社でアルバイトとして働き始めた暢子です。仕事は「ぼ~やさん」雑用係で毎日社員からこき使われています。
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暢子は電話の受け答え、敬語の使い方など、社会人としての常識がまったくありません。
幾度となく、社員たちに叱られています。
田良島デスクからも電話の応対、仕事のマナーなどの指導を受けています。
田良島デスクとオーナー房子の会話。
田良島デスクは厳しいですが暢子を気に入っている様子です。オーナーの房子には「明るくていい子」です。と言ってましたね。
オーナーの房子も電話の向こうで世間知らずな子でクビにしようと思っていると言ってながら顔は笑顔でしたね。
大城房子:「想像以上の世間知らずでしょ?あんなんじゃ使いものにならないから、クビにしようと思ったんですけど」
田良島デスク:「真面目で正直で明るくて。人柄は100点満点。オーナーが期待されるのも納得です」
と、暢子の人柄を絶賛していました。
房子は世間知らずの暢子に厳しく接していましたが、やはり嫌いではなく見込みがあるから厳しく接していたのでしょう。
いやそれだけではない何か他の訳もある気がします。
暢子と青柳和彦の10年振りの再会。
新聞社で暢子が子どもの頃に沖縄で交流し生活を共にした青柳和彦と偶然出会うのです。
偶然に、、、。(5分40秒くらい)
和彦は学芸部の記者となって取材で留守だったようです。そこで和彦から紹介されたのが和彦の同僚でもしかしたら恋人の「大野愛」
さらに偶然は重なり、暢子の鶴見の下宿先に和彦も下宿することに。
鶴見で下宿先を探していたところ、暢子が下宿している居酒屋「あまゆ」を見つけたといいます。
そこにも和彦の同僚で恋人の大野愛が遊びにやってきました。
愛さんは和彦に下宿に関して「お母さんは大丈夫なの?」と言ってましたから、お母さん公認の恋人ようですね。
青柳和彦の父・青柳史彦はセリフ死。
暢子は和彦に「そうだ、お父さんは?元気?」と聞きます。ですが、和彦は「亡くなったんだ。東京に帰ってしばらくして病気で…」と悲しい報告。
まさかやの青柳史彦はセリフ死にでした。もう一度ドラマで見たかったな・・・
和彦の父・史彦は民俗学者で大学教授。
沖縄に来て比嘉家と大きく関わるキーマンでした。賢三と戦時中の話もしていましたね。
史彦は食べることが大好きな暢子のために、比嘉家全員を那覇のイタリアレストランに招待していました。
このお店で暢子は初めてイタリアレストランの味を知ったのでした。
そして、エンディングでは暢子と和彦の10年ぶりの再会を三郎さんの音頭で祝っていました。
料理は暢子が作った「フーチャンプルー」と「ラフテ―」です。とっても美味しそうでした。
和彦の登場で幼なじみの智と暢子の関係がどのようになるのか?その行方にも目が離せないちむどんどんです。
ジョン・カビラさん語り:和彦と鶴見で出会った暢子。どんな日々が待っているのでしょうか?
⇒戸次重幸が朝ドラ「ちむどんどん」で演じるキャスト青柳史彦とは?
「ちむどんどん」第36話:5月30日。暢子はクビ。
1973年(昭和48年)10月。暢子が沖縄を出てから1年が経ちました。
イタリア料理店「アッラ・フォンターナ」で働き始めて右も左も分からない新人から前菜を任される程度仕事ができるようなっていました。
しかし、わがままな振る舞いは接客業のレストランには不向きなようですね。と、オーナーの房子は感じています。
暢子は常連客から店名の由来や料理の素材について質問されても答えることができません。
料理長の二つ橋さんは 「料理人は料理さえできればいいでは駄目」がオーナーの持論であると暢子に言ってましたね。
ある日、オーナーの房子があなたは首と2度目の宣言をします。ある条件を付けてね。
その条件は新聞社で「ぼーや」のアルバイトをすることでした。そう社員の雑用係です。
昭和48年代では多いアルバイトの一種です。
個人的にはこのアルバイトの経験で少しは暢子の世間知らずが世間を知ることで料理人として幅ができるのではないかと思っています。
一方、沖縄やんばるでは良子が妊娠して間もなく出産を迎えるので里帰りしていました。
また歌子は新人歌手のオーデションに応募するか否か悩んで暢子にも相談しようと電話をしたのですが途中で切れてしまいました。
10円玉がなくなったのかな?
賢秀は沖縄にいるのか?突込まれますが、賢秀は千葉の養豚場にいます。
でもまた何かを起こすかも知れないのでここでは書きません。
「ちむどんどん」第8週(東京編)「再会のマルゲリータ」の感想。
37話では沖縄の歌子が、新人歌手発掘のオーディションを受けたいと暢子に相談していましたね。
姉としての気遣いがとても良かった。
新聞社の慣れない仕事で忙しい時間を過ごしていますが、和彦に会ったことで暢子が沖縄時代の幼い暢子に戻っています。
世間の常識を学んで「ちむどんどん」する世界になってほしいですね。
38話では歌子の相談に応え名言を返しました。歌子は見事に歌いきります。なんかちむどんどんぽくなってきました。
39話は「挿入歌」に感動です。歌子の歌もそうですが、挿入歌を入れるタイミングがとっても素晴らしい。
それと、田良島デスクが暢子に新聞投書欄を読むことを教えていましたよね。投書は新聞読者の新聞社への要望でもあるのです。
あんなことが知りたい、私はあの時こうした。などなど、読者の投書は現代のツイッターですね。
40話で和彦と一緒に暢子が作った沖縄そばを一緒に食べる時、和彦は暢子にお礼をいいます。
その時の表情が幼い時の暢子に完全に戻っています。言葉使いも仕草も沖縄時代の幼い暢子になって好感度100%です。
まとめ。
新聞社のアルバイトボーヤさんの仕事は暢子の成長にとって大きな役割を果たしましたね。
レストランに戻ることができた暢子ですがこれからオーナー房子はさらにハードルが高い仕事を与えることになるのでしょう。
しかしそれは愛情なのかそれとも房子と暢子の親族としての血なのか?
比嘉賢三が他界し幼い暢子を引き取っても良いと文をくれた主は「大城房子」なのか?
少しづつ深堀していきたいと思います。