「ちむどんどん」第15週は「ウークイの夜」です。そのあらすじ(ネタバレ)と感想を紹介します。
比嘉家の4人の子供たちが久しぶりに沖縄やんばるで揃います。暢子も賢秀も何年ぶりの里帰りなんでしょうか?
もちろん突然と浮かびあがった母・優子の再婚話、そしてなにか優子は子供たちに隠しごとをしているのではないか?
との素朴な疑問。
第14週の「渚(なぎさ)の、魚てんぷら」では暢子と和彦、そして愛さんと智の4人の恋物語の終着点が描かれていました。
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ヒロインばりの人気を集めた愛さんとは先週でお別れですね。今週の比嘉家の子供たち4人と和彦と智はどうなるのでしょう。
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「ちむどんどん」第15週(東京編)「ウークイの夜」のあらすじ(ネタバレ)。
1978年(昭和53年)8月18日沖縄のお盆に比嘉家の四きょうだいは久しぶりに揃っていました。
題名の「ウークイ」とは、旧盆の最終日でご先祖様をあの世へお見送りする最も重要な日です。
そんな重要な日に母・優子は子供たちの疑問を話してくれるのでしょうか?
ちむどんどん75話。7月22日(金)。第1章終了。
母の戦争体験を聞いたウークイから一夜が明けました。
4人の子供たちは思いを新たにしてそれぞれの人生の課題に向き合おうとしています。
そんなとき暢子の前に現れたのはなんと和彦ですした。
暢子は母・優子の話を聞き、そして、房子の和彦君とはどうなるの?結婚も仕事も両方手に入れなさいと言われ決断します。
なんと暢子から和彦にプロポーズをするのです。何もプロポーズが男性がすることを前提にしているわけではありません。
しかし、プロポーズした時代設定ウークイの翌日ですから1978年(昭和53年)8月19日です。
この昭和の時代では一般的には男性が結婚の意思を決めて女性に打ち明けると思うのです。
そんな二人に強敵が現れます。予告にもありますが、
「結婚は許しません」と鈴木保奈美が演じる和彦の母・重子が登場します。
⇒第16週は「御三味(うさんみ)に愛をこめて」
ちむどんどん74話。7月21日(木)。遺骨収集のキッカケ。
優子を演じる仲間さんの胸を打つ名演技に泣きました。
沖縄のお盆の最終日「ウークイ」の夜は優子が賢三との約束を果たした日でした。
4人の子供たちは母・優子から初めて父・賢三とのなれそめやいきさつを聞いています。
そして、優子はお世話になっているしとても良い人である善一さんとの再婚はないとはっきり言いました。
それは賢三が優しく優子に手を差し伸べたことを忘れていないからです。
優子が語る。
1946年(昭和21年)、賢三と再会した優子は、「やんばる」で身を寄せ合うように暮らし始めます。
1944年の那覇への空襲で祖父母は亡くなりました。
両親と姉そして優子と弟の秀夫は山に逃げましたが両親と姉は行方がわからなくなってしまいました。
そして、ただ一人の肉親である弟の秀夫は優子の手の中で冷たくなっていったのです。
優子は感情表現ができなくなっていたのです。「泣くことも笑うこともできなくなっていた」のです。
そんな優子に賢三は「家族の思い出を話してほしい」と頼みます。すると優子は話しながら涙があふれ出てきました。
賢三は「家族の分まで幸せになってくれ」と言葉をかけそっと手を差し伸べたのです。
それは、第1週の「シークワーサーの少女」で優子が一人で泣いているとき優しくそっと手を差し伸べた賢三の手でした。
⇒大森南朋が朝ドラ「ちむどんどん」で演じるキャストは比嘉賢三とは。
「この人(賢三)と家族になりたい。2人で生きていきたい」と思った瞬間だったようです。
優子の遺骨収集。
優子と賢三は「ウークイ」の日に戦没者の遺骨収集をすることにしました。
そのきっかけはある新聞記事でした。田良島が書いた嘉手刈さんのインタビュー記事を読んだからです。
優子の両親と姉は「今でもどこかの山の中に」眠っているのです。
優子は「遺品の一つもないといつまでも気持ちが割り切れなくて、辛くてたまらない」と遺族の思いを代弁しています。
同じような思いをしている人のためにと賢三と一緒に「ウークイ」の日に遺骨収集をしていたのですね。
田良島が語る。
田良島の兄は沖縄で戦死したようです。那覇の空襲かは語っていませんが、その兄の骨は未だに戻ってこないようです。
「今でも沖縄の山のどこかにいるんです」と田良島は三郎に話していました。
田良島は、当時10歳でした。
「兄がどうして死んだのかわからず泣きました。大人になったらわかるのかなって。でも、今でもわかんないんです」とその心打ちを三郎に話しています。
田良島がなぜ遺骨収集に熱心だった嘉手刈を取材したかの訳は死んだ兄を沖縄の兄のことを知りたかったのでしょう。
ちむどんどん73話。7月20日(水)。優子、房子、三郎の過去。
優子は、久しぶりにそろった四人の子供たちに自身の過去を話しはじめます。本当は話したくなかった、沖縄戦の悲惨な話です。
優子の戦中・戦後
幼い優子は7人家族で那覇の与那城食堂の娘でした。姉は琉球舞踊がとても上手な女性でした。
1944年10月10日(昭和19年)の大空襲で那覇は焼け野原になり優子と弟の秀夫は山に逃げていましたが、アメリカ兵に見つかり捕虜になりました。
終戦は捕虜収容所で迎えます。その後、弟は亡くなります。
一人ぼっちになり生きる気力をなくしかけていた時、内地から戻ってきた賢三が優子を見つけるのです。
優子は「運命の再会だと思った」と語っていました。
再会した優子と賢三がお互いを強く抱きしめる姿で優子の話は一旦終わりました。
フォンターナ房子の戦中・戦後
フォンターナの房子は自分の過去と姉の子供が賢三であり彼との出会いと別れを二ツ橋に話していました。
賢三は中国から帰還し鶴見の焼け跡の闇市で商売を始めていた房子と再会します。
房子は、一度も会ったことのない姉の息子である賢三と出会ったとき、初めて親戚というものに出会い「うれしかった」と語っていました。
ですが、賢三には笑顔がありません。笑顔をなくしていたのです。
その姿から戦争の悲惨さが伝わってきました。しかし房子も一人ボッチでしたので賢三の存在は心強かったでしょう。
房子の表情が、明るくなってきましたからね。房子は賢三に名前の入った包丁を贈りました。
しかし、賢三は一旦沖縄に戻ることが許されると(当時、沖縄県人は沖縄にしばらく戻ることを許してくれませんでした)
沖縄で結婚し鶴見に戻ってくることはなかったようです。
房子は「裏切られたと思い込んでしまった」と口にしていましたね。
再び独りぼっちになってしまった房子の喪失感は想像できますよね。
⇒原田美枝子が朝ドラ「ちむどんどん」で演じるキャスト大城房子とは?
三郎の戦時中。
三郎と賢三の出会いは三線でした。賢三が三郎に三線を教えていたのです。
三郎はシベリアで捕虜になり、シベリアで亡くなった日本人の遺骨は未だに戻ってきていないと話していました。
また、三郎と酒を飲み交わしていた田良島は沖縄への想いが強いことも73話で語っていました。
⇒片岡鶴太郎が朝ドラ「ちむどんどん」で演じるキャストの平良三郎とは?
73話はとても深い話です。仲間さんが演じている優子の話はゆっくりとした話口調ですが説得力があります。
やっと沖縄返還50周年のコンセプトが生きた演出です。是非映像を見て下さい。
幼少の優子は仲間さんと瓜二つです。
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ちむどんどん72話。7月19日(火)。遺骨収集を行う嘉手苅源次。
1978年(昭和53年)8月18日。
ちむどんどんが初めて沖縄戦について描き始めました。第72話は、その序章ですね。
沖縄入りをした和彦は洞窟で嘉手刈に挨拶をし嘉手刈さんの自宅に伺いました。
上司の田良島に電話をし、嘉手刈から話を“聞き出す”と話をしています。
余談ですが、昭和53年ですので、沖縄から東京に公衆電話(赤電話)で話をするには10円玉が沢山いりますよね。
さて、電話で“聞き出す”ということに敏感に反応した田良島さん。「聞き出すとか何様だ?」と叱咤します。
田良島さんも嘉手刈さんへの想いがあったのでしょう。それはすぐ分かりました。
20年前、嘉手刈さんにインタビューし記事にしたのは田良島だったのです。
でも、「迷惑をかけた」と後悔に苛(さいな)まれていました。田良島さんの沖縄への強い思いが伝わってきました。
10円玉が足りず途中で電話は切れてしまいますが、和彦は取材を続けます。
和彦は父・史彦が戦中に沖縄の基地にいたが沖縄戦の前に内地に移り命が助かったことや、
父・史彦は民俗学者で、沖縄をライフワークとし、本を出す予定だったこと、そして、
和彦も復帰前に沖縄で少しの間一緒に暮らしていたことなどを語るのです。
父の意志を継ぎたいと言い、今回の取材は上司の田良島の指示だったことを話すと嘉手刈さんの様子が変わりました。
「あんた、田良島さんの部下か」。
嘉手刈さんはゆっくりと20年前に田良島さんのインタビューに応え、その後、嘉手刈さんが避難されたことを話すのです。
ここがちむどんどんのテーマだと勝手に思いました。
嘉手刈さんの言葉
「わしの親戚や友人には、いろんな立場の人がいて、あの戦争の話はもう思い出したくもないという人もいてね。
アメリカ人相手と商売してね、生活をしてる人もいる。私のところに、文句を言いに来た人もいる。
明らかになった田良島と嘉手刈の関係。そしてもう一つ、
房子が和彦に渡した品は手紙でした。嘉手刈さんは本土の遺族のお礼の手紙を読んでいました。
房子さんは毎年「ウークイ」に合わせて手紙と嘉手刈に寄付を送っていたのです。
嘉手刈の言葉
「あの戦争で人は人でなくなることをした。自分の子供に、あの時のことを話せない人もいっぱいいる。
戦争を経験した人も、どんどん死んで、そのうち誰もいなくなる。なんとか伝えなくちゃいけない」
優子も、自分たちの子供に話したくても話せない、いやはなしたくない辛い過去の戦争体験。
優子は戦争犠牲者の供養になるのではと思い戦没者の遺骨収集のお手伝いを「ウークイ」の日にしていたのです。
優子と賢三の出会い、そして賢三と房子の出会と別れ、賢三と三郎さんの出会いが少しづつ語られ、戦争の悲劇をちむどんどんが語ってくれることを期待します。
ちむどんどん71話。7月18日(月)。田良島さんスッキリしました。
1978年(昭和53年)8月18日。旧盆の最終日「ウークイ」は沖縄のお盆、ご先祖様をあの世へお見送りする最も重要な日です。
比嘉家の四人の子供たち、賢秀、良子、暢子、歌子が久しぶりにやんばるの実家で顔をそろえることになりました。
そして、早速、母の再婚を確認するため共同売店の善一さんに会いに出かけます。でも母優子さんは休んでいました。
家にもいないのに・・・。
一方、和彦は”うじうじ”し仕事ができない状態です。そんな煮え切らない和彦を見て田良島さんは、
「お前の煮え切らない態度と余計な優しさのせいで大野も暢子ちゃんも傷ついた! 婚約者と幼なじみの間で散々迷走した挙句、土壇場で婚約者に別れを切り出そうとしたら逆に振られて傷つき、それではこっちと幼なじみに告白したらそっちにも拒絶された。ハッハッハッ!」
と大笑いしながら和彦を煽るのです。そして、
「今のお前は穴があったら入りたいくらいみっともない上に、大野への罪悪感と暢子ちゃんへの未練でパンク寸前」
とスカットする田良島の言葉で胸のすく思いでした。
やはり田良島さんはすごい。胸のすくような冷静且つ明晰な分析をしてみせる後輩想いの素晴らしい中間管理職です。
そして、落ち込む和彦に大きな仕事を回すのです。ただし会社の経費は使えません。会社に話す時間はありません。
ですので、すべて自腹で行かせます。
その仕事とは、沖縄で戦没者の遺骨収集を行う嘉手苅源次への取材でした。
源氏さんの妻に事情を話したら遺骨収集の現場に同行することを許可してくれたようです。
そして、その連絡を取ってくれたのは、なんと「アッラ・フォンターナ」の房子さんでした。
なんと取材の餞別も房子さんが出してくれました。
房子さんは沖縄二世で一度も沖縄に行ったことはないようですが、嘉手苅源次さんに渡して欲しい品物を頼まれました。
どうやらその品物に何かしらの縁のヒントがあるようです。
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和彦は戦没者の遺骨収集をしている洞窟に取材の申し込みのため入りました。
そこで、思いもしない暢子たちの母・優子に会うのです。なんで、まさかや!
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「ちむどんどん」第15週(東京編)「ウークイの夜」の感想。
沖縄をテーマに返還50周年の記念の年に放送している「ちむどんどん」。
しかし、沖縄戦の話題は今まで一切ありませんでした。
唯一、その伏線が第1週「シークワーサーの少女」にありました。
優子がなぜか泣いているシーンです。和彦の父・青柳史彦と戦前の事を話した夜の出来事でした。
第15週はその沖縄戦での出来事と優子の大事な過去の重要部分が語られました。
感情移入ができなかった12週~14週の暢子の恋物語とは違い優子の話を聞きながら涙腺が緩みっぱなしでした。
ここからが「ちむどんどん」の始まりではないかと思うような第15週でした。
それにしても、和彦の沖縄取材の目的は「戦没者の遺骨収集」をしている嘉手苅源次さんのインタビューですよね。
月曜日の71話でその現場である洞窟に入る時、亡き戦没者の霊に手も合わせないで取材をする無神経な態度は記者としていかなるものか?
そんな感想を持ったのは私だけではないでしょう。
まとめ。
ウークイの日に母優子が子供たちが生まれる前のことを話してくれました。そんな過去があったのか?と子供たちは驚くことが多かったと思います。
これらの結びつきは、フォンターナに暢子が働き始めたことで歯車がかみ合いそして前に進むことができたのだと思います。
房子さんが和彦に頼んだ品は遺骨収集している喜手刈さんへの遺族からのお礼の手紙でした。
第15週は旧盆最終日「ウークイ」で戦没者の魂をおくることで沖縄返還50周年のコンセプトを視聴することができました。
2022年の夏、戦後77年の時間が過ぎ戦争を生で語ることができる人は少なくなりました。
だからこそ、ドラマの世界だけでもその時代の悲惨な人間模様を描いてほしいと思います。
「ちむどんどん」がどこまで表現できるかはまだ未知数ですが、現実の世界でも起きていることですので伝えてほしいと願っています。
次週の第16週は「御三味(うさんみ)に愛をこめて」ではどうやら暢子と和彦が結婚するようですが・・・。
すんなりとことが運ばない様子です。