「ちむどんどん」122話のあらすじと感想をお届けします。
「ちむどんどん」121話のエンディングは房子が沖縄に来て「優子さんに大事な話があって」と暢子に言い、やんばるの大自然をドローンの映像で終わりました。
その内容は優子に大里五郎を会わせるためでした。
「ちむどんどん」122話「やんばるちむどんどん」のあらすじ。
優子のもとを訪れたのは、大里五郎とその娘の大里悦子。
どうしても優子に渡したい物があるとのこと…。#ちむどんどん #朝ドラ#黒島結菜 #仲間由紀恵#草刈正雄 #草刈麻有 pic.twitter.com/z0UTJ9q9Sm
— 連続テレビ小説「ちむどんどん」 (@asadora_nhk) September 26, 2022
大里五郎は沖縄県人会のつてを頼り、房子の案内で、娘の悦子とともに優子に会いにきたのです。
大里五郎の話しは、比嘉優子の姉・比嘉時恵の最期を看取ったことでした。
沖縄戦の五郎。
五郎の話は沖縄戦でした。40年前の昭和20年です。
五郎は沖縄戦で焼け残った小屋に逃げ込むと、そこには機銃掃射で瀕死になった女性がいました。
その女性は優子の姉・与那城時恵でした。時恵から「もう食べられないから」と小さな握り飯をもらいます。
時恵の父母も既に亡くなっていたようです。
時恵は「はぐれてしまった妹と弟がいる」と優子と弟の秀夫を心配して、「もしも会えたら、伝えてほしいことがある、と五郎に伝えます。
そして、「見捨てたんじゃない。必死に探したけど見つからなかった」と伝えてほしいと五郎に願ったようです。
亡くなる寸前に、かんざしを妹の優子に渡すようにとの事でした。
五郎の話。
優子:姉の最期はどうでしたか?
五郎:お亡くなりになる前、水を欲しがりました。喉が渇いた、お水をください、と…。(自分は)少し水は持っていました。
五郎:だけど私は、水はないと言いました。
五郎:自分たちが助かることを考え、食べ物をもらっておきながら、嘘をついて、水をあげなかった。ごめんなさい。
五郎:本当に申し訳ありませんでした…」
と当時の行いを詫びていました。
姉の最期を知った優子
優子:「最期を看取ってくださり、ありがとうございます。生きているのか、死んでしまったのか、ずっと分からなかった。
優子:だけどようやく、本当に…。ありがとうございます。
と、言い「トキエ」と刻印されたかんざしを抱きしめるのです。
沖縄戦で両親と弟を亡くした優子だが、戦禍で離ればなれになってしまった姉・時恵の生死はわからずにいたのです。
優子の沖縄舞踊。
その夜、優子は、形見のジーファー(沖縄のかんざし)を髪にさし、時恵をしのんで「浜千鳥」を皆の前で踊ります。
三線と歌は歌子です。
優子と房子
翌日、沖縄の美しい海をともにながめる優子と房子。
優子:色々なことが変わりました。だけど、この海は変わりません。
と感慨深そうに言いいます。
房子:ふるさとを知らずに育ち、自分の境遇を恨んだこともある。
房子:だけど今は…。ただいま!
と海に向かって歩き出し笑顔で叫ぶのです。
⇒原田美枝子が朝ドラ「ちむどんどん」で演じるキャスト大城房子とは?
二人はともに戦争で家族を亡くしたもの同士です。
優子は沖縄で4人の子どもたちを女手ひとつで育て上げました。房子は内地で戦後の闇市も含め、料理屋を続けてきました。
そんな2人の女性の生き様がありありと描かれた122話でした。
25週「やんばる!ちむどんどん!」のまとめはこちら
⇒「ちむどんどん」25週「やんばる!ちむどんどん!」のあらすじ(ネタバレ)と感想。
「ちむどんどん」122話「やんばるちむどんどん」の感想。
最終週に沖縄戦の話を描いてくれて「ありがとう」と言いたいです。優子が遺骨収集をしていたのも姉を探していたのでしょうか?
戦争の苦しみを語る人もいなくなります。
当時の日本人の女性が生き抜く姿を見てちむどんどんを見ての初めての「涙、涙」でした。とてもいい話でした。
まとめ。
ベテラン女優二人の演技と草刈正雄の演技に、感情をぐいぐい引っ張られましたね。
「涙が止まらなかった」二度見、三度見しても泣けます。今までで一番いい話でしたね。
さて、明日の「ちむどんどん」123話はお店の開店前日が描かれますが・・・。でも